勉強なんか役に立つの?

勉強なんか役に立つの?への答え
(私の中では明確なこと)

どうして勉強しないといけないの? 勉強ってなんの役に立つというの?

こんな風にたくさんの人が思ったことがあることでしょう。

 

小学校低学年で勉強する内容が、大人になってもひんぱんに使う技能や知識だということは、

きっと否定されないでしょう。

ひらがな・かたかなや簡単な漢字の読み書き、そして簡単な足し算・引き算・九九などは、

できなければ、日常生活で相当苦労するでしょう。

 

でも、小学校高学年くらいから、だいぶ勉強も難しくなり、中学生、高校生ともなれば、

がんばってついていく姿勢がないと、落ちこぼれてしまうのは、簡単です。

 

こんなに難しい技能や知識が、大人になって何の役に立つの?

と実に多くの人が思っています。

難しい漢字は、パソコンやスマホが自動変換してくれるし、複雑な計算だって

計算機や計算ソフトがあれば、問題なくできる。

そして、理科や社会で出てくる大量の暗記ものは、日常生活に関係ないことばかり・・・

 

大人の世界(職業)は、たいてい、それぞれの専門に分かれていて、

たとえば英語を教える仕事をしている私なら、数学は、中学一年生くらいまでのことが

分かっていれば十分すぎるほどで、その先高校三年までに費やした、数学との闘いは、

本当に必要だったのか??ということになります。

 

ほかの職業についても、同じようなことが言えるのではないでしょうか。

ならば、中学生はじめくらいまでに将来の進路を決めれば、専門分野の実践で使える勉強に

集中でき、余計な苦労をしなくて済むのでは・・・そのような考えもあるでしょう。

 

高校時代の古典の先生が、「今はみなさん古典なんかに興味がないでしょうが、

年を取ると、よさがわかるものよ・・・」と言っていました。

文字通り古典に興味なんてなかった私は、「じゃあ、今じゃなくて年取ってから勉強すれば

いいじゃない」なんて思っていました。

 

あるエッセーで、なぜ勉強するのかについて、うろ覚えなのですが、こんな風に

書かれていました。

「いろいろなことを知っていて損はない。経験しながら学ぶのが一番なのだが、

それではあまりにも時間がかかりすぎるし、時には大変な危険を冒さなければいけない

ことも出てくる。それならば、先人の経験したことを、テキストや講義から学んで、

経験ほどは深く学べなくても効率よく学ぶ、というのがいいのではないか。」

一理ある話です。

そのようにして、実際には見たこともないことを、危険のない室内で効率よく学べるなんて、

ある意味ありがたいことです。

 

私が、意味のないように見える勉強でも、実は役に立つ!と思えるようになった

エピソードについて書きたいと思います。それは本当に単純な経験からです。

 

小学校3年生だった私は、あることがどうしてもできませんでした。

それは、折り畳み傘をきれいにたたむ、ということです。

買ったばかりの折り目がしっかりした傘なら、うまくたためたでしょう。

でも、なんども雨に当たった折り畳み傘は、折り目がはっきりせず、

なんどやり直しても、バンドをとめると、しわしわのよれよれになってしまい、

うまくいかないのです。

なぜか2つ年下の妹がそういうのが得意で、さらりとうまくたたんでいるのを見て、

できない自分にさらに本当に腹を立てていました。

そのため、もう折り畳み傘をたたむのを完全にあきらめました。

 

何年も経ち、本当に大人になって、何気なく折り畳み傘をきちんとたたんでみようと

思ったことがありました。

すると、なんのことなく、キレイにたためるようになっているのを発見して、

本当に驚きました。

なぜなら、何年もの間、折り畳み傘を真剣にたたもうとことがなく、ましてや練習も

しなかったのに、できるようになっていたからです

 

きっとよく考えれば誰にでもそのような経験があるはずです。

例えばスポーツを例にあげてみましょう。野球を長いことやっていた人が、ほかの球技を

したら、ほとんどやったことがないのにすごくよくできた、ということがあると思います。

力士が引退後、格闘技などほかのスポーツに転向して活躍する例もあります。

これらはスポーツ同士の間での話ですが、たぶんスポーツで体を鍛えた人は、

消防士など体を張る職業には、圧倒的に有利でしょう。

つまり、技能は、閉じられた一つの分野にとどまることなく、他にもいかんなく

発揮されるのです

 

私の折り畳み傘も、きっと傘をたたむ練習を一度もしていなくても、他のなにかの技能が

応用されたり、無意識に身につけた動き複合的に発揮されるなどして、いつの間にか

できるようになっていたのだと思います。

 

あるスポーツをよくできるようになるために、野球であれば、何度も練習試合をしたり、

野球に使われる基本的な動作(ノックや素振りなど)の練習を徹底的にすることでしょう。

さらに、腹筋や背筋、腕立て、反復横とびなどして、野球には直接出てこないような

動きの筋トレをしたりして、筋肉を強化するために多くの時間を割くことでしょう。

また、他の種類のスポーツをすることにより、野球の何かの動きに役に立てることも、

きっと可能でしょう。

 

話が長くなりましたが、「勉強は役に立つ!」の話です。

人間の生きている世界は複雑で、いろいろな問題に出会って解決したり、

新しいアイデアを出してものごとを改善していったり、

ときにはがまんやあきらめで乗り切る場面もあります。

そういうとき、脳に蓄えられた経験や知識を、そのまま使ったり、組み合わせて考えたり、

応用したりします。

「脳に蓄えられた経験や知識」とは、一つは直接自分が体験したこと、

もう一つは、過去に勉強したことであると思うのです。

 

つまりはっきりした目的がわからなくても勉強は、「脳の筋トレ」になっているのです

体の筋トレと少しだけ違うとことは、

脳の筋トレのためには、単純な反復運動のようなことだけではなく、

具体的な知識を学んだり、文章題なの問題を解いたりもする、ということです。

なぜなら、現実で起きることも、脳の機能も、反復運動だけではカバーできない、

複雑なものだからです

 

もう一つ、暗記物について。

ヒーヒーいいながら、テストに合わせて大量のことを暗記します。

テストが終わると、すっかり忘れます。意味ない~!と声高らかに言ったことが、

多くの人にあるでしょう。

大人になっても、仕事のために資格試験に合格しなければいけないことがあります。

多くの場合、テキスト等で、大量の暗記を強いられます。

あまり深く意味も分からないまま、無理やりいろんな専門用語を頭にたたきこんで、

そして試験後すぐ忘れる。そんなんで、ある資格を授与されていいのでしょうか?

そんな暗記に意味があるのでしょうか・・・?

 

いや、あるんです。意味なくないんです。

合格ラインに達する暗記をすれば、例え多くを忘れても、「あ、そういう専門用語が

あったかも、こんなときの対処法があった気がする」と。

そこまで思い出せれば、あとは専門書を開いて、それについてもう一度学び直し、

それによって実際の場面で使ったり応用できたりすればいいのです。

しかし、それについての勉強を一回もしたことがなければ、、

調べることも容易ではありません

後で引き出すことのできるインデックスを多く持てるかどうか、ということだと思います。

 

いろんな分野の勉強をする、それによって、脳の中には、たくさんのシナプスによって

複雑に情報が結ばれます。

この複雑な世界をよりよく生きるには、どれだけ引き出せるものがあるかが、強み

なります。自分が今やっている仕事と直接関係のないことも、

脳の中では分断された知識ではなくどこかでつながっているのですから、

柔軟に使うことができたら、今やっている職業や生活に、新たなアイデア、価値を

創造していくことがきっとできるでしょう。

 

人間がこれまでしてきた大きな発明や発見は、他分野からの応用であることが

少なくありません。

多くのノーベル賞受賞者だって、そのようにして、それまで思いつかなかったような

斬新なアイデアを得、さまざまな発見をしています。

 

勉強すればするだけ、必ず役に立つ私は信じています。

人間の脳はそのようにできているのですから。

できる、できないにかかわらず、脳の訓練です。

よりよく生きるための体力みたいなものです

(単に収入を増やすため、とかそういうことではなく)。

 

だから、子どもから「勉強なんか役に立つの?」と聞かれたら、

自信をもって「もちろん役に立つよ!理由はね・・・」と話すことにしています。