勉強ができるようにならない

「勉強ができるようにならない」に寄り添ってみる

 

勉強をしてもしてもできるようにならない、という子がいる。

「自分はしているつもりでも、本当に頑張っている子がいるということが見えていない」

と塾の先生が言う。

「本当に成績を伸ばしている子は、歩いているときも勉強している」

とカリスマ講師が言う。

 

社会で成功している大人がいる。

「自分はものすごく努力したんですよ」と言う。

「努力もせずに、成功しなかった人にうらやましがられる筋合いはない」

と思っている大人がいる。

 

でもあると思うんです。

素質や才能の、厳然たる差というものが。

 

毎日何時間も机に向かっているのに、成績がじりじり下がる子がいる。

一方で、短時間の勉強で、のみこみも早く、いつも成績上位の子もいる。

同じように頑張っても、同じ結果にはならない。

 

本人やとりまく様々な条件によって、恵まれている子とそうではない子がいる。

親のサポートを一身に受けられる子。

様々な問題をかかえ、毎日をこなすのが必死の子。

けっして条件は同じではない。

 

そして、「努力が足りないから君はできない、努力をしたから自分はできた」という人。

きっとそれも事実なのでしょう。

でも、思うんです。

「努力ができること」も才能のうちだと。

「努力できる自分」、そんな才能に恵まれたことに感謝しなくてはいけないのではないかと。

 

以前、ユーミン(松任谷由実)が言ってた。

「自分は人より才能に恵まれただけ」と。

特にユーミンのファンでもなかったけど、

なぜか心の奥まで入ってきた。

「私には才能がある」

そんなことばが逆に謙虚なものに聞こえた。

ユーミンが努力をしなかったわけがない。頑張らなかったわけがない。

でもそういうものを表に出さず、

与えられた才能に過ぎません、と言えること。

 

勉強ができるようにならない子、はつらい。

自分はがんばっていると思っているならなおさらだ。

授業がわからないまま、クラスにすわっていること、

必死にテスト勉強したのに、毎回成績が落ちていくこと。

先生に、「さぼってるから」「努力してないから」といわれること。

そういった、つらいことをいくつもがまんしている。

何年も情けない気持ちを抱え続けている。

 

才能や環境などの条件に恵まれて、成功した人には、しなければいけないことがあると思う。

それは、社会にいろいろなものを還元していく、ということだ。

自分が努力をして得た結果なのだから、といって、

得たものを当然のものとして独占してはいけないと思う。