ホントに実用面だけ?外国語を学ぶメリット

ホントに実用面だけ?外国語を学ぶメリット

~「自分とはちがう」を取り入れる~

 

外国語を学ぶことは、どんな意味があるのでしょうか?

2020年から実施される新学習指導要領で、小学校3年生から学校で英語を学ぶように

なります。

世界で広く使われている英語ができれば、いろいろなチャンスが広がる、ということが

あるでしょう。でも例え英語を使うことがなくても、十分生きていけるように感じます。

 

ある人が「AI(人工知能)の急速な発展により、自動翻訳が進むので、

英語は学ばなくていい」、と子どもに言っているのさえ聞いたことがあります。

実際は言語がコミュニケーションを運ぶものである以上、AIがとって代われない部分は

必ずあると思っているのですが、将来的に自動翻訳がもっと便利に使えるようになって

いくことは事実でしょう

 

では外国語を学ぶメリットってなんでしょうか?

 

私は、単なる実用的な意味以上のものがあると感じています。

 

自分とは異なる言語を学ぶことで、異文化に触れることができる、とよく言われます。

英語に限っていえば、様々な国や地域で使われていて、一口に英語といっても、

発音や語彙など、様々なバリエーションがあり、必ずしも特定の文化を代表したものでは

なくなっているかもしれません。

文化学習とは切り離されたところで、英語を習得する人もいる、という話も聞きます。

 

しかし、異なる言語を知る、ということは、必ずしも文化を通じて学ばなくとも、

言葉そのものに注目しただけでも、世界観のちがいを知る機会になると思うのです。

 

先日生徒に、なぜトイレを英語でbathroomというのか、と尋ねられました。

お風呂がついてなくてもそう呼ぶのはなぜか、と。

そう考えれば、逆に日本語を学ぶ外国人が、なぜ日本語ではトイレを「お手洗い」

と呼ぶのか、と思っているかもしれません。

 

外国語を知ることで、ものを見るときの区切り方(シンプルに言えば、「ものの見方」は

人によって違うのだ、ということを自然に学んでいるように思います。

 

他の例ではたとえば、

「黄色い犬」「黄色いくつ」「黄色い封筒」

と聞いたらどんなものを想像するでしょうか?どれも珍しいもののように感じませんか?

これはフランス語での言い方です。実はどれも珍しいものではなく、私たちのごく身近に

あるものです。

この場合の「黄色」というのは、日本語でいう、うす茶色やうすいおうど色のようです。

つまり、うす茶色の犬、茶封筒、うすおうど色のくつ、ということです。

 

日本語とフランス語では、色の区切り方がちがう、ということがわかります。

グラデーションのように色が少しずつ変化してプリントされたものを想像するといい

でしょう。色の変わり目に線を引いてみるとします。うす茶色やおうど色は、

日本語では茶色の仲間、フランス語では黄色の仲間、ということになるのでしょう。

 

こういったことは、あらゆることに当てはまります。

自分の理解の仕方とは異なるものに出会ったとき、常識とはちがうと考えるか、

相手がおかしいと考えるか・・・

異質なものに出会う機会の少なかった人なら、そうなるかもしれません。

 

「自分とはちがう」に出会ったとき、まず違いを観察し、相手の話をよく聞き、

「あ、自分の考え方も正しいかもしれないけど、相手の考え方にも一理あるのだな」と

思える力は「異質」が引き起こすさまざまな問題を解決するでしょう。

それは、大きな目で見れば、「平和を引き寄せる力」となるでしょう。

 

同時に、「あたりまえ」や「常識」だと思っているものを疑ってみることは、

大きな発見や発明につながるものであることは、歴史的に見ても明らかです。

これまでに起きた大発明・大革新は、異文化や異分野から発想やヒントを得た、

ということが往々にしてあるのです。

 

外国語を学ぶ、ということは、単にその言語を使えるようになって活動の範囲や可能性が

増える、ということだけでなく、人の思考を柔軟にし、新しいものを生み出す力・土壌を

作るのに貢献する、と思うのです。

 

ここで少し私の大好きなテーマの話をしたいと思います。

私は文系人間ですが、意外にも物理学の話が大好きです。宇宙の成り立ちや、

相対性理論など、自分の理解の範囲を超えているからこそ、とても面白く感じます。

 

世界の物理学者たちの研究から、とても一般人の常識では考えも及ばないような理論や説が

いくつも出ています。

例えば、自分自身や世界は本当に実在するものなのか、といった根本的な問いに対する研究

です。未来人(つまり私たちの子孫)が、思いもよらないほど発展したデジタル技術で

生み出したプログラムを、ホログラムのようにして過去に向けて投影しているものに過ぎない

のではないか、と。

そしてその証拠となる「グリッド」(ゲーム世界を作るための格子のようなもの)の存在が

どこかにあるはずだと、本気で見つけようとしている研究があるというのです。

 

こんなことを、物理学の知識のない一般人が言えば、オカルトか中二病と

言われてしまいそうです。

しかし、世界の成り立ちが、見かけどおりではない、ということは物理学の発展の中で

明らかにされてきたことであり、物理学では常識となっているようです。

 

私たちがこれまでの常識と思っていることに、本気で挑んでいく、とらわれのなさや

柔軟さが、学問やテクノロジーの大きな発展を引っ張ってきた、ということは、

もはや否定できないでしょう。

 

そのようにして、数十年前にはSFか絵空事か、と思われていた技術(腕時計形をした

小型の端末で情報のやりとりをしたり、車の自動運転技術だったり)が

今ではあたりまえになっているのですから。

 

異なるものを見つめてみる、自分とはちがうものを受け入れてみる、ということは、

私たちがよりよく生きていくために欠かせない力なのです

 

外国語を学ぶ、ということは、単に実用的な面に限らず、また人生を豊かにする

楽しいものである以上に、生きるための必要な力を身に着けさせ人を成長させる、

という意味があると思っています。

なので、私が子どもたちに英語を教えるにあたり、子どもたちがそのように育ってほしいと

願いながら、その目標に少しでも近づいていけるよう、適した教材を選んだり、

レッスンのプランを考えたりしているのです。